《あらすじ》

鎌倉を拠点に活動する殺し屋、エリックが恋に落ちたのは、
鶏と呼ばれる、殺し屋の女性だった。

            〈作・フミクラ〉
【原作・吉谷しな】

  

《注意書き》

この台本は、吉谷しな先生の『三毒三巴』及び、それに関連する『殺し屋シリーズ』を元にした二次創作物であり、オリジナルではありません。原作のキャラクターや世界観を使用しており、新たな視点や物語を追加していますが、これは原作者によるものではありません。ご注意ください。
  
  
    ○●○●○●○●○
  

《登場人物紹介》

エリック(えりっく)
殺し屋。女性。

戸越(とごし)
駄菓子屋。女性。

(にわとり)
殺し屋。女性。
【登場作品】三毒三巴〈作・吉谷しな〉

  
    ●○●○●○●○●
  
  
  
    ● ● ●
  

《 本文 》

  

――鎌倉某所。

エリック
「なんで?」


「……」

エリック
「なんで、この人死んで……?」


「……判らない?」

エリック
「お姉さんが、殺した?」


「ご名答」

エリック
「そんな……」


「……」

エリック
「あんなに苦労して依頼こなしたのに。まだ、報酬もらってなかったのに……」


「(ため息)同業者だったのね。私が言うのもなんだけど、ご愁傷様。恨むなら、殺し屋を差し向けられるほど恨まれていたアナタの依頼主を恨んでちょうだい」

エリック
「いや、恨むっていうか」

 

――エリック。銃を鶏に向けて構える。
――鶏。それに反応して同様に銃をエリックに向けて構える。

 


「……何のつもりかしら?」

エリック
「あれ? 何でだろう? すみません、こういうケース初めてで、多分パニクっちゃってて」


「初めてなら仕方ないわね。見なかったことにしてあげるから、その銃、今すぐ下ろしなさい」

エリック
「そうしたいのはやまやまなんだけど……なんせパニクっちゃってるんで」


「……先に仕掛けたのはアナタの方だし、警告はした――からねっ」

エリック
「――ッ!」

 

   ●

 

――鎌倉。駄菓子屋『とごし商店』

エリック
「――てことがあったんだよ」

戸越
「爆笑じゃな」

エリック
「どこが!?」

戸越
「こっちの台詞じゃ。お前、話し始めに何と言うたか覚えとるか? 面白い話があると言うたんじゃ。じゃからわしは胸を躍らせた。抱腹絶倒(ほうふくぜっとう)する覚悟を決めていた」
「じゃが、蓋(ふた)を開けてみたら『報酬を受け取りにいったら、依頼人が殺し屋の手によって始末されていました。だから、その殺し屋と一戦交えました。でも途中で警備員が来たから逃げられました』……これのどこが面白い話なんじゃ?」

エリック
「いや、それは……そう言った方がちゃんと聞いてくれるかな、と思って」

戸越
「……まんまと馬鹿の誘いにのってしまった、というわけか」
「まぁよい。とりあえず……良かったのう」

エリック
「良かった?」

戸越
「無事で、良かったと言っておるんじゃ。お前が戦った相手は、なかなかの手練(てだれ)。そのまま続けていたらどうなっておったか……」

エリック
「その口ぶり……もしかして、彼女が誰か知ってんの?」

戸越
「無論。情報屋じゃからのう」

エリック
「教えてくれない?」

戸越
「なんじゃ珍しい。リベンジでもするつもりか?」

エリック
「リベンジっていうか、とにかく教えてほしいな、て」

戸越
「それはいいが――」

エリック
「いくら?」

戸越
「5千円」

エリック
「はい」

戸越
「ありがたく。はい、おまけのブタメン」

エリック
「ありがとう。それで、彼女は誰なの?」

戸越
「――鶏(にわとり)」

エリック
「ニワトリ?」

戸越
「界隈(かいわい)では、その名で通っているらしい」

エリック
「なんでそんな名前?」

戸越
「さあ?」

エリック
「本名は?」

戸越
「さあ?」

エリック
「年齢は?」

戸越
「さあ?」

エリック
「どうして殺し屋に?」

戸越
「さあ?」

エリック
「知ってるのはコードネームだけ?」

戸越
「じゃな」

エリック
「情報屋なのに?」

戸越
「情報屋といっても、わしは駄菓子屋との兼業。それを生業(なりわい)としておる横浜の小僧などと比べたら、ザコもザコ。大ザコナメクジじゃぞ?」

エリック
「こんな自信満々なザコキャラ初めて見た」

戸越
「お前は引きこもりの人見知りじゃから知らないじゃろうが、わしのような自信満々のザコはそこら中におるぞ。ほら、お前の後ろにも――」

エリック
「なんで急にホラーテイスト? それにしても。鶏……鶏か……」

戸越
「馬鹿面(ばかづら)が強くなっておるが、どうした?」

エリック
「ううん、何でもない。話聞いてくれてありがとう戸越(とごし)。はい、これお礼の2万円」

戸越
「ではこちらは――はい、おやつカルパス。……って、毎度のことながら、雑談程度でこんなに頂くのは気が引けるんじゃが。わし、お前から毎月70万くらいもらっておるぞ?」

エリック
「いらない?」

戸越
「……いや、ありがたく頂いておこう。我が友――エリックよ」

 

   ●

 

――横浜某所。


「……依頼を受けたの?」

エリック
「ここ最近、依頼はひとつも受けてないよ」


「じゃあ、その人を殺したのはアナタ自身の意思ってこと?」

エリック
「うん」


「……あのね、報酬を受け取る前に依頼主を殺されるなんて、この業界では間々(まま)あることよ。それをいちいち根にもって、相手に同じことをするなんて……こんなやり方続けてたら、アナタ、この先やっていけないわよ」

エリック
「知ってるよ。これでも16歳(じゅうろく)からこの業界にいるから」


「あら、もしかして先輩だった? もしそうなら、なおさら。何でこんなこと――」

エリック
「好きだから」


「は?」

エリック
「鶏さんが好きだから。また殺し合いたいなと思ったから。確実に君が現れる場所で待っていたんだ」


「……悪趣味なジョークね。笑えないわ」

エリック
「ジョークなんかじゃないよ。好きです」


「ごめんなさい。私はアナタみたいな人、嫌いです」

エリック
「気が合うね。私も私のことが大嫌いなんだ。人は好きなものよりも嫌いなものが一致する方が長く続くって聞いたことあるし、私たち、相性いいと思わない?」


「全然」

エリック
「残念」


「諦めてくれた?」

エリック
「全然」


「残念」
「じゃあ、死んでちょうだい」

 

   ●

 

――鎌倉。駄菓子屋『とごし商店』

戸越
「――それで、また決着がつかなかった、と」

エリック
「うん。次のデート場所を調べなきゃ」

戸越
「エリック」

エリック
「なに?」

戸越
「お前、何しとるんじゃ?」

エリック
「何って……殺し愛だけど? あ、『ころしあい』の『あい』はアムールの方の『あい』ね」

戸越
「何じゃそのダサい造語。せめてラブの方と言え。いや、そんなことはどうでもいい」
「まず、お前は鶏に惚れた、で、いいんじゃな?」

エリック
「イエス・フォーリンラブ!」

戸越
「性別については、この際脇に置くとして……どこに惚れたんじゃ?」

エリック
「一目惚れに理由がいるの?」

戸越
「顔か」

エリック
「顔『も』ね」

戸越
「そして、これが一番の謎なのじゃが……なにゆえ、そんな相手を殺そうとする?」

エリック
「……3年くらい前に、ダフネって同業者とターゲットが被(かぶ)った、という話は何度かしてるけど覚えてる?」

戸越
「いや、初耳じゃ」

エリック
「多分この話するの4回目とかだよ? いい加減覚えててよ。情報屋でしょ?」

戸越
「情報屋ゆえに、どうでもいい情報は脳に残さないようにしておる」

エリック
「とても馬鹿にされている気がする」

戸越
「それで、標的が被って、どうしたんじゃ?」

エリック
「話し合いの結果、2人で殺したことにして、その回はダフネがターゲットの女の子の息の根を止めることになったんだけど……」

戸越
「ダフネといえば、重度の拷問中毒だと風の噂で聞いたことがある。さぞかし残忍な殺し方をしたのじゃろうな」

エリック
「うん。正直ドン引きだった。釘(くぎ)をね――」

戸越
「詳細はいらぬ」

エリック
「そのダフネがさ、とても楽しそうに、時間をかけて殺すもんだから、興味本位で聞いてみたんだ。『どうしてそんなにご機嫌なんだいブラザー』って」

戸越
「距離感」

エリック
「すると彼は答えた『俺みたいな奴に命を奪われるんだよ。せめて笑顔で見送ってやらなきゃ可愛そうだろブラザー』って」

戸越
「虚言(きょげん)じゃな」

エリック
「そうかもね。でも私はその言葉にすごく納得したし感心した。だからその日から、仕事のときはできるだけ笑顔でいることにしたんだ」

戸越
「いや、お前仕事じゃなくとも常に馬鹿みたいに笑っとるじゃろ」

エリック
「それは、元々笑い顔だからそういう風に見えるだけです。ずっと笑っているように見える犬いるでしょ? あれと一緒」

戸越
「自分のことを犬に例えるやつ初めて見た」

エリック
「初めてどころか今まで百回くらい言ってるけどね。忘れないように日記に書いていいよ。わんちゃん記念って」

戸越
「それでその話と、惚れた相手を殺そうとする話はどう繋がるんじゃ?」

エリック
「あ、そうそうその話だった亅
「彼女と会ったとき、ようやくあの時のダフネの気持ちが判ったんだ。彼の本当の気持ちがね」

戸越
「本当の気持ち?」

エリック
「その前に」

戸越
「まだ何かあるのか」

エリック
「その前に……人の命を奪ったとき、相手の魂が自分の中に入ってくるのを感じるんだけど、この感覚、判る?」

戸越
「判るわけなかろう。お前らと違って、わしはいくら積まれようと殺人はせん」

エリック
「じゃあ説明するね。命を奪った瞬間、少しだけ自分の身体の一部が重くなるって言うか、今回は右足に入ったな、とか感じるんだ。命を奪った実感が強ければ強い相手ほど、その魂の重みは大きく、そしてその重みはいつまでも抜けることがない」

戸越
「……つまりお前は今も、今まで殺害した者たち全員分の魂を感じておるということか?」

エリック
「うん。今も全員分――119人分の重みを感じているよ。あ、といっても、それで動きが鈍(にぶ)くなる、とかはないから安心してね」

戸越
「……」

エリック
「と、すかさずダフネの話に戻るんだけど。あの時。ターゲットの女の子をじっくり殺していたあの時。きっとダフネには、死者を笑顔で見送ってやりたい、なんて高尚(こうしょう)な気持ちはなかったと思うんだ。あの時彼にあったのは、薄汚い欲望」

戸越
「……は?」

エリック
「あの時ダフネは、ターゲットの女の子に恋をしていたんだよ。愛しくて恋しくて、誰にも汚されたくない。誰かに汚される前に自分が汚したい。汚して壊してその魂を自分だけのものにしたい。ずっとその重みを感じていたい。きっとそう思ったんだ。だから、徹底的に殺して、そうした」

戸越
「憶測(おくそく)にもほどがあるな。わしがダフネならブン殴っておるぞ」

エリック
「私は今、その時のダフネと同じ気持ちなんだ。鶏ちゃんを汚したい。徹底的に殺し尽くしたい。その魂を一生背負いたい」
「こんなこと初めてなんだ。おかげで毎日がキラキラしているんだ! キラキラ女子の仲間入りなんだ! もはやインフルエンサーなんだ!」

戸越
「わしがインフルエンサーならブン殴っておるぞ」

エリック
「だから、私は彼女を殺すんだよ」

戸越
「……鶏を殺すと、そのキラキラは失われるんじゃないのかのう」

エリック
「どうだろうね。やってみなきゃ判らないけど、多分、もっとキラキラになると思うよ。だって、惚れた相手をひとりじめにしたんだから」

戸越
「言うまでもないが、鶏は凄腕(すごうで)の殺し屋じゃ。いくらお前でも負ける可能性があるのじゃぞ? 負けるというのはつまり――」

エリック
「うん。知ってるよ。その場合、私の魂は彼女だけのものになるってことでしょ? それはそれで、うん、いいじゃん」

戸越
「お前と違って、鶏は殺した相手の魂を受け入れておらぬかもしれんぞ?」

エリック
「もしそうだったら……最悪だね。行くあてのない魂はあの世行きだ。徳も積んでないし、人をたくさん殺して業(ごう)まみれだから、地獄行きは確実……いや、地獄にすらいけずに消えちゃうかな」

戸越
「……」

エリック
「まぁ、でも大丈夫でしょう! きっと勝つし、万が一負けたとしても、鶏ちゃんも私と同じなはず!」

戸越
「……ヤフオクで『馬鹿を治す薬』とか売ってないかのう」

エリック
「そんなのあるわけないじゃん。馬鹿なの?」

戸越
「今世紀最大の屈辱」

エリック
「ところでさ、戸越」

戸越
「なんじゃ」

エリック
「ひとつ、頼みごとしてもいいかな?」

 

   ●

 

――鎌倉。駄菓子屋『とごし商店』


「アナタが戸越ね」

戸越
「ああ、鶏か。そのとおり、わしが戸越じゃ。遠路(えんろ)はるばるよく来たな」


「……初対面なのに、気安いわね」

戸越
「『あなたの町の情報屋さん』というコンセプトでやっているからのう」


「私の訪問が判っていたみたいな口ぶりも、そのコンセプトのおかげ?」

戸越
「どうじゃろうな。それで用件は――エリックについて、か?」


「話が早くて助かるわ。アナタ、彼女の専属の情報屋なんでしょ?」

戸越
「専属ではない。あいつは引きこもりの人見知りじゃから、どこの組織にも所属できず、わしくらいしか馴染みの情報屋がいないだけじゃ」


「何でもいいわ。それで、彼女は何なの?」

戸越
「何なの、とは?」


「5回よ」

戸越
「5回?」


「彼女が私の依頼主を手にかけた回数。そして、私と殺(や)りあった回数」

戸越
「あー……そんなにやっておったのか」


「おかげで『鶏に依頼すると殺される』なんて噂が立って、私に来るはずだった依頼が他に流れる始末。心の底から営業妨害だわ」

戸越
「ご愁傷様(しゅうしょうさま)。モロッコヨーグルでも食うか?」


「他人事(ひとごと)ね。アナタが私についての情報を与えなければ、こんなことにはならなかったんじゃなくて?」

戸越
「馬鹿を言え。そもそもわしはお前が受けている依頼について何ひとつ知らないし、当然あいつにお前の情報を与えたりも……いや、『鶏』という名は教えてやったが、それだけじゃ」


「ちょっと待って。ということは、彼女は自分の力だけで私への依頼にたどりついたってこと? どの情報屋も頼らず?」

戸越
「そういうことじゃろうな」


「……アナタから言ってやめさせることはできないの? おトモダチなんでしょう?」

戸越
「無理じゃ。あいつはお前に惚れたらしいからの」


「それ。彼女も言っていたけど、どういうこと? なんで私に惚れたら、依頼主殺すのよ」

戸越
「おそらく、お前が納得して殺しあえる理由を提示しているんじゃろうな」


「はぁ?」

 

戸越
「――と、いうわけじゃ」


「つまり、この悪趣味なストーカー行為を終わらせるには、彼女か私のどちらかが死ぬしかないってこと?」

戸越
「そういうことじゃな」


「最悪」

戸越
「じゃろうな」


「あと、人を殺すたびに魂がどうのこうの言ってたけど、それ、多分魂じゃなくて――」

戸越
「判っておる。言わんでええ」


「判っててこの仕事を続けさせてるの? 優しいおトモダチだこと」

戸越
「……」


「情報屋さん」

戸越
「なんじゃ」


「命が惜しかったら、エリックについて詳しく教えてくださらない?」

戸越
「そんな脅しをせんでも、わしに答えられることならすべて答えてやるわ」


「あら、魂のことと言い、案外薄情なのね」

戸越
「無論、相応の金はいただく。情報屋じゃからな」


「ふーん。金取るんだ。じゃあ、彼女の本名は聞かなくていいとして……その仕事道具を教えてちょうだい」

戸越
「仕事道具か。5度殺(や)りあったのなら判るじゃろ?」


「そうでもないのよ。1回目は銃、2回目はナイフ、3回目と4回目は警棒で、この前なんかはヌンチャクだったから」

戸越
「そういうことじゃ」


「どういうことよ」

戸越
「あいつにはこれと決めた仕事道具がない。人を殺せるものであれば、ライフルから小銭まで、何でも扱う」


「それにしたって、その中でも得意なものとか、馴染むものがあるでしょう」

戸越
「ない。そもそも奴には愛着やこだわりといった、誰しもが大なり小なり持つ『芯』と呼ばれるものがないんじゃ。それは、道具だけに限った話ではない」


「……」

戸越
「ゆえにあいつは仕事を選ばぬ。どんなに非道な依頼でも、どんなに危険な依頼でも、受けることで自分の評判を落とすことが明白なハズレ仕事だとしても、選(え)り好みせず同じモチベーションで望む。――汚れ仕事を嬉々として行う鎌倉の怪人。そんな噂くらいは聞いたことあるじゃろう? それがアイツじゃ」


「鎌倉の怪人……」

戸越
「……」


「……いえ、聞いたことないわ」

戸越
「そうか」


「ええ」

戸越
「聞いたことなかったか……弱ったのう。顔が熱くなってきた」


「……」

戸越
「お前のせいじゃぞ、どうしてくれる」


「勝手に自爆したんでしょ」

戸越
「まぁよい。そんな奴がお前という執着を見つけた。歪(いびつ)ながらも初めて芯を手に入れた。きっとお前がどこに行っても追ってくるぞ。あいつとの殺し合いを回避できるなどという楽観は捨てることじゃ」


「……一銭の価値にもならない殺しはしない主義なんだけど、仕方ないわね」

戸越
「そうでもない。ほれ」


「何かしら?」

戸越
「お前が来たら渡しておいてくれとあいつから頼まれていたものじゃ」


「手紙と……金?」

戸越
「依頼状と前金の100万じゃ」


「依頼状?」

戸越
「殺し屋『鶏』にひとりの人間を殺して欲しいんじゃと」


「場所と時間も指定して……道具も? ナイフ以外を使ったら報酬は無しって……こんなひどい依頼が成立すると思っているのかしら?」

戸越
「成功報酬は6000万円」


「……仕方ないわね」

戸越
「先ほども言うたように、あいつはどんな道具でも使いこなす。そんな奴の道具がナイフひとつに限定されたんじゃ。お前にとっては渡りに船だと思うが?」


「それだけの問題じゃないわ」

戸越
「成功報酬は6000――」


「仕方ないわね」

戸越
「日時は明後日の午前2時。場所は『鎌倉グロノアホール』。標的は津久井(つくい)エリ。職業は殺し屋。コードネームは――『エリック』」


「はいはい。そんなに勿体(もったい)つけなくても判ってるわよ」

戸越
「すでに金(かね)はあいつから預かっておる。ナイフであいつを殺せた暁(あかつき)には、再びここに取りに来い」


「ふーん、報酬はすでにアナタのところにあるのね」

戸越
「それがどうした?」


「私、順番待ちとか苦手なの。同じものが食べられるんだったら、流行りのレストランよりも、すぐに食べられるファストフードの方が好みだわ」

戸越
「下手な脅しはよせ。お前は殺し屋であって、強盗ではないじゃろ」


「どうかしらね? アナタも情報屋なら、鶏という殺し屋は貪欲でがめついってことくらい、知ってるわよね?」

戸越
「わしはお前が思っているよりも情報屋界隈への顔が広い。お前も殺し屋なら、我々を敵に回す恐ろしさは知っているはずじゃ」


「……」

戸越
「それに、この店にはネットに繋がった監視カメラが山ほどある。正当防衛ならまだしも、自身の欲望のためにわしに何らかの危害を加えようものなら……無事では済まぬぞ、小娘」


「あらあら。怖い怖い。ほんのジョークよ」
「ご依頼、謹(つつし)んでお受けいたします」

 

   ●

 


 午前1時50分。鎌倉グロノアホール。
 普段、この時間には動いていないであろう自動ドアをくぐり廊下を進む。
 奥にいけばいくほど、目の奥にへばり付くような、粘度の高い匂いが強くなる。
 何の匂いかは考えるまでもない。そこらに転がった警備員や従業員の血の匂いだ。
 ホールの入り口の扉はこちらを迎えるように開いていた。
 足を踏み入れる。
 ステージに立つそれと目が合う。
 ソレは、私に向かって大きく手を振った。
 その右手には、柄(つか)にごちゃごちゃと装飾が施された、金(きん)のナイフが握られている。

エリック
「ニワトちゃん! こっちこっち!」


 昔からの友人に呼びかけるようにソレが言う。
 もちろん私は友人なんかじゃない。
 ジャケットの裏――背中に隠し持っていたナイフを抜きながら、無人の客席を進み、ステージに上がる。ソレと対面する位置につく。
 相手との距離は10メートルほど。
「まさか自分をターゲットにしてまで私と殺しあおうとするなんて……アナタ、本物の馬鹿なのね」

エリック
「恋は盲目。馬鹿になるくらいが丁度いいと思わない?」


「そんな馬鹿に巻き込まれる身にもなってほしいものだわ」

エリック
「巻き込まれる身? ああ、ここの関係者の人たち? うん、確かに悪いことしちゃったなとは思うけど――」


「違う」

エリック
「ん?」


「私のことよ」
 歩みを進める。ソレも私に合わせて前進を始めた。
 距離が縮まる。5メートル。4メートル。3メートル。
 あっという間に握手ができる距離。
 無論握手などしない。私たちはほぼ同時に、共通の振り付けを踊るように、互いにナイフを突き出した。

 

   ●

 

エリック
 噛み合う。噛み合う。噛み合う。
 実力が伯仲(はくちゅう)しているからか。それとも愛ゆえか。
 まるで長年のダンスパートナーのように、ふたりの動きが噛み合う。
 ナイフを突き出す。避けられる。薙(な)ぐ。防がれる。振り下ろす。かわされる。振り上げる。払われ、攻撃に転じられる。
「楽しいねぇ! ニワトちゃんっ!」


「冗談っ」

エリック
 殺意と好意をのせたナイフは劇場の光を反射して煌(きらめ)く。
 金の光はニワトちゃんの命を、銀の光は私の命を狙って彷徨(さまよ)う。
 夏の花火よりも、冬のイルミネーションよりも、都会の夜景よりも、田舎の星空よりも。
 どんな光よりも綺麗な光が交差する。
 この時間が止まればいいのに。
 この時間がいつまでも続けばいいのに。
 でも、実際にはそんなことありえない。
 ニワトちゃんがナイフを振り抜きながら、左の回し蹴りを見舞ってくる。
 狙いは頭だ。
 反射的にくるりとナイフを逆手(さかて)に持ち替え、迎撃する。
 蹴りの軌道(きどう)がかくんと落ちる。結果、私のナイフは空振りして、彼女の脚が私の右脇腹にクリティカルヒット。重い。女の蹴りじゃない。爪先に鉄板か何かが入っていないと説明が付かない。
 身体(からだ)が折れ曲がり、胃液が上がってくる。
 吐きそうになるのを堪(こら)えながら、その足にナイフを振り下ろす。けど、すでに足はそこにない。空振り。そんなことやっている間に、彼女のナイフが私の側頭部に迫る。とっさに左腕でガード。刃は深く突き刺さるものの、貫通するには至らず。


「(舌打ち)」

エリック
 彼女はすぐに私の左腕からナイフを引き抜く。後ろに跳び、猛禽(もうきん)のような視線でこちらの動きをうかがう。深追いはしてくれない。
「さすがマイハニー。キックもしてくるなんて、お転婆(てんば)さんだね」


「お転婆くらいじゃなきゃ、この世界生き残れないのよ。まさか、足を使うのは契約違反とか言わないわよね。ダーリン?」

エリック
「まさか、そんなみみっちいこと言わないよ」


「道具をナイフだけに絞(しぼ)るのも随分(ずいぶん)みみっちいと思うけど?」

エリック
「それはごめんね。でも、君とはどうしてもナイフで戦いたかったんだ」


「あら、それはどうして?」

エリック
「どうしてって……銃や爆弾よりも、殺したときの魂の重みを感じられるでしょ?」


「……人を殺すたびに身体に入る魂の重み、ってやつ?」

エリック
「あ、やっぱりニワトちゃんも経験してるよね! 私達人殺しはみんな、そういう経験をして、その重みを感じて――」


「残念だけど。今私が言ったのは、アナタ専属の情報屋さんから聞いた話」

エリック
「え?」


「私自身は今まで一度もそんな経験したことないし、そんな経験――したくもない」

エリック
 本当に。
 心の底から嫌そうな顔で、彼女はそう吐き捨てた。


「そもそも私、そういう一銭の価値にもならない邪魔なものは、一切持たない主義なの」

エリック
「え、じゃあもし、私が負けても――」


「アナタの魂とやらが私の中に入ることはないし、もし無理に入ってこようものなら、即刻シュレッダーにかけて野良犬の餌にしてあげるわ」

エリック
「……なら、なんとしても勝たなきゃね」

 

   ●

 


「さようなら、可愛そうで不幸なエリック」

エリック
 そう言い残し、ニワトちゃんは帰っていった。
 せめて外まで見送って、別れの言葉のひとつでもかけたいところだったけど……残念ながら身体はほとんど動かず、声はうまく出せず、視界は何も映らなくなっていた。
 ホールからニワトちゃんの気配が消えてすぐ。
 奥の方から、馴染みの気配を感じた。
 気配の主は、迷いなくこちらに向かって足を進めると、ついに舞台に上がり、私の隣にすとんと腰を下ろした。

戸越
「負けてしまったのう」

エリック
 見てたんだね。

戸越
「相手の方が一枚(いちまい)上手(うわて)じゃったということか」

エリック
 そうだね。二枚も三枚も上手だったよ。

戸越
「魂の件。わしの予想が当たってしまったか」

エリック
 残念なことにね。

戸越
「うまくいかぬな」

エリック
 だね。

戸越
「……」

エリック
 ……あれ? どっか行った?

戸越
「……アチョッ!」

エリック
 左腕に小さな揺れ。
 どうやら彼女が、指でつついたようだ。

戸越
「戸越拳法究極奥義――最強突き!」

エリック
 何それ、ダッサ。

戸越
「これは、どんな相手でも一撃で殺す、わし専用の最強必殺技じゃ」

エリック
 そいつはすごいや。

戸越
「この一撃でお前は死ぬ。つまり、お前を殺したのは、鶏じゃない。鎌倉の怪人エリックを殺したのは、この戸越じゃ」

エリック
 めちゃくちゃなこと言ってんね。
 もしかして、ニワトちゃんへの報酬をネコババするつもり?
 ていうか君、いくら積まれても人は殺さないんじゃなかったの?

戸越
「……じゃから、お前の魂はまだ消えない。お前を殺したわしの中に入る」

エリック
 ……ああ、そういうことか。
 いらない情報は覚えないって言ってたのに。これは覚えてくれてたんだね。

戸越
「不満か?」

エリック
 不満じゃないよ。

戸越
「そうじゃな。じゃが、最悪よりはマシじゃろ?」

エリック
 だから、不満じゃないんだって。

戸越
「……もし、マシだと思ったのなら、少しでも感謝しているのであれば、ひとつ頼みごとがある」

エリック
 なに?

戸越
「いつもの、馬鹿みたいな笑顔を見せてくれんか」

エリック
 いつものって……いつも別に笑ってるわけじゃないからね。
 笑っているように見える犬がいるでしょ。あれと一緒。ただの笑い顔なだけなんだって。
 何度も説明してるのに、何で覚えないかな。
 さっきの話は覚えていたくせに。
 本当。
 情報屋のくせにさ。
 
 残った力で首を回し、君がいるであろう方向に顔を向け、歯を見せて口角を上げる。
 うまく、笑えてるかな。
 血まみれで不気味だろうけど。
 笑っているように、見えるかな。

戸越
「……ありがとう」

エリック
「よかっ……た……」
 

   ●

 

――10時間後。
――鎌倉。駄菓子屋『とごし商店』。

戸越
「これが約束の報酬じゃ。1枚1枚確認するか?」


「まさか現金手渡しとはね。てっきり口座が用意されてるものだと」

戸越
「そんなことをあいつがやると?」


「さあ。知るわけないでしょ。私はあの子でもアナタでもないんだから」

戸越
「そうか。そうじゃな」


「まあいいわ。とりあえずこれは、約束通り頂いていきます」

戸越
「あと、そうだ。おまけをやろう」


「駄菓子? いらないわよ。荷物になるだけだわ」

戸越
「いや、駄菓子というか」

――戸越。銃を鶏に向けて構える。
――鶏。それに反応して同様に銃を戸越に向けて構える。


「……かたき討ちのつもり?」

戸越
「いや、自分でも判らぬ。初めてのケースじゃ。おそらく混乱しておるのじゃろうな」


「アナタでは、逆立ちしても勝てないわよ?」

戸越
「じゃろうな」


「それが判っているなら……見なかったことにしてあげるから、その銃、今すぐ捨てなさい」

戸越
「そうしたいのはやまやまなんじゃが……なにせ混乱しておるものじゃからのう」
「悪いが――付き合(お)うてくれ」


「……警告は、したからね」